東北女子が関西にお嫁に来ました

アラフォー東北女子が関西へ。「東北と関西」の文化の違いや魅力を綴るブログ

梅と桜

奈良時代以前はと言えばでした。

 

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奈良時代では中国から伝わった梅は珍重されていました。

春告草ともいわれ

花が咲くと寒い冬が終わり

春が訪れます。そんな風情も歌に詠みやすいのか

 

万葉集に詠まれている植物を数えると

萩の次に梅の数が多いそうです。

そして、梅の歌と桜の歌を比べると

梅の方が倍以上詠まれています。

 

その人気ぶりをうかがえるのが、『万葉集』に詠まれた梅の数です。桜を詠んだ歌は43首に対し、梅を詠んだ歌は110首。梅は桜の倍以上詠まれているのです。

引用元:https://www.hanamonogatari.com/blog/1201/

 

  

 

 

 ところが

平安時代になるとというとになります。

 

 

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古今和歌集で詠まれたている植物が

梅の数より桜が多くなるそうです。

 

どうしてそうなったのかは

一番のきっかけは遣唐使の廃止と考えられます。

 

奈良時代は唐(中国)から輸入された梅が目新しくて人気でした。

遣唐使の廃止が行われると

日本独自の文化に目が向けられはじめます。

すると自生している桜が注目されました。

もともと桜は日本人にとって神聖で身近なものでした。

 

 日本人にとって桜は古来より大切な存在でした。

それは「サクラ」という名前の由来といわれる説からもわかります。

「サ」は田の神様、「クラ」は神様の座る場所を意味しているという説です。つまり、「サクラ」は神様が山から下りてきた時に一旦留まる依代(よりしろ)とされていました。

そのため、桜が咲くことは「神様が山から下りてきた証」と考えられ、皆で集まり、お酒や食べ物をお供えしていたとされます。

また、当時の人は桜の開花状況を見て、田植えの時期を決めていました。

美しい桜の花が咲く時期を、田植えに適切な時期と考えていたようです。

引用元:https://www.hanamonogatari.com/blog/1201/

 

 

今と変わらず流行があるようで

梅のブームが去り、桜が流行したようです。

 

www.hanamonogatari.com