北野天満宮 七不思議 その5 唯一の立牛
北野天満宮には七不思議があります
3月8日に梅を見つつ、そこを巡りました。
その一つ唯一の立牛です。
北野天満宮には境内に入ると多くの撫で牛があります。
一の鳥居から二の鳥居に行く間にも
撫で牛が三体もありました。
二の鳥居を過ぎると
屋根がある撫で牛もありました。
菅原道真は牛にご縁がある方でした。
菅原道真が生まれたのが承和12年(846年)6月25日で乙丑の年
そしてなくなられたのも延喜3年(903年)2月25日の丑の日でした。
その他にも牛との逸話が長岡天満宮のホームページにでています。
菅公は仁明天皇の御宇、承和12(845)乙丑6月25日すなわち丑年のご生誕であり、貞観元年己卯 月2月乙丑、ご元服の当夜、白牛が角をくじいて死ぬ悪夢を見られ、たいそう気にされて自ら牛を画き、 お酒を供えてご尊拝せられたということです。
寛平5年、癸丑の9月、公は北山に茸狩りの宴を催されましたが、いずこからともなく小牛が宴席近く寄 り、頭を垂れていかにも公を敬うがごとくでありましたので、公はたいそうお喜びになって御館に連れて 帰り、お可愛がりになりました。
又、菅公が太宰府にご左遷の御時、道明寺から、こもやの里まで落ちゆかれる途中、時平の命を受けた笠 原宿禰等が後を追って切りかかり、お命危うく見えたとき、松原の中から荒れ狂った白牛が飛び出て、宿 禰の腹を突き刺しました。よくご覧になると公が都でご愛育になった牛でありました。公は「都にて流罪 極る前夜、不思議に 逃げ去って姿を隠し、度々に凶非を告げ、今また此の危難を助けし忠義の牛、筑紫ま で伴わん」と涙を流 してお喜びになりました。これにより牛にお乗りになって、御心安らかに旅立たれた のであります。そしてこの太宰府の地においてひたすらに謹慎の意を表されておりましたが、延喜3年( 903)2月25日の丑の日に薨去されました。 由来、全国の天満宮には牛の像が数多く奉納されているのであります。
引用元:長岡天満宮ホームページ
仔牛と一緒の撫で牛も。
撫で牛は境内に十数体もあるそうです。
頭をなでると頭がよくなり、
自分の体の悪い場所をなでて、なで牛の同じ場所をなでると
そこが治るとも言われています。
老若男女問わず撫でられていました。
牛がなぜ横たわっているのかというと
御遺骸を運ぶ牛が座り込んで動かなくなったことに由来しています。
当宮の境内には横たわった牛(臥牛)の像が数多く奉納されています。御祭神菅原道真公(菅公)と牛にまつわる伝説や逸話が数多く残され、菅公は承和12年(845)に誕生され、この年は乙丑(きのとうし)の年でありました。延喜3年大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から御遺骸を轜車(牛車)にてお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しております。
引用元:北野天満宮ホームページ
それなのに
なぜか本殿の鈴の上に立ち姿の牛がいました。